横須賀市太田和に拠点を構える焼菓子工房『Coeur a Coeur(クーラクー)』。フランス語で「心と心」を意味するこの名前には、お菓子を通して人と人とを繋ぎたいという代表・横山祥子さんの思いが込められている。家族が育てた野菜や地元の果物を活かし、米粉のお菓子やロースイーツなど体に優しいおやつを作り続ける、その背景にある思いを伺った。
研究者気質の父が作った野菜をお菓子に
家族に買ってもらったお菓子づくりの本をきっかけに、小学生の頃からクッキーやパウンドケーキを焼き始めたという横山祥子さん。工房発足の原点とも言える体験は、小学4年生のとき。祖母が参加する俳句の会の参加者のために、お土産として焼菓子をつくったことにあるという。
「誰かに食べてもらえる前提でたくさんの量をつくるのも、プレゼント用にラッピングをするのも、それが初めての経験でした。食べてくださったのは70代くらいの年配の方たちでしたが、口々に『おいしい』と言ってくれたことが本当に嬉しくて。自分のつくったお菓子で喜んでくれる人がいる、その感動が今の活動につながっているように思います」

学生時代はつかず離れず楽しんでいたお菓子づくりだったが、大学進学~就職して以降は少し距離ができていた。再開したのは2010年、子どもが生まれたのを機に退職してからのことだ。
「初めての子育てでしたし、小さな子どもに市販のおやつは甘すぎるかもしれないとか、どんな食品添加物が使われているのか、といったことが気になり始めました。それで、久しぶりに自分でつくってみようかなと思い立って」
同じ頃、横須賀市の長井に大型農産物直売所『すかなごっそ』がオープン。横山さんの父が農産物の販売を始めることになった。父はもともと製薬会社のエンジニアだったが、農業をやっていた祖父が亡くなったことをきっかけに、早期退職をして荒れていた農地の活用を始めたのだ。



「父は農業未経験でしたが、もともとの仕事柄とても研究熱心。まるで設計図のように畑の区画割りを書きだし、作物の育成記録を細かく残しながら野菜を育て始めていました。それは現在も続いていて、14年間で記録用のノートは30〜40冊以上になっていると思います。祖父は一種類の野菜や果物を大量に作る伝統的な農業をしていましたが、父はいろんな種類をちょこちょこと栽培するスタイル。安全でおいしい野菜づくりをしようと、農薬も必要最低限しか使いません。その、こだわりの野菜を販売するにあたって『じいじ農園』という屋号をつけたんです」

横山さんもまた、お菓子づくりの再開をきっかけに、いつか焼菓子の販売をしたいと自宅の厨房を整え、保健所の認可を取ったところだった。そこで、『じいじ農園』の野菜や果物をつかった焼菓子を『すかなごっそ』に出品することに。
「そこから、秋はさつまいも、冬は柚子など季節の野菜や果物を使ったパウンドケーキを販売するようになりました。おかげさまで『じいじ農園』のお菓子として、楽しみにしてくださるお客様が少しずつ増えていったんです」
“心と心を結ぶお菓子屋さん” の誕生
そこからおよそ10年間、『じいじ農園』のお菓子として販売を継続。しかしファンが増えていくに連れ「せっかくおしゃれな洋菓子なのに、名前が “じいじ” なのはイメージ的にもったいない」と周囲から言われるようになり、悩んでもいたという。
そんなとき、再び転機が訪れる。2020年、友人と一緒に衣笠のグルテンフリーカフェ『CoCo CAFÉ』を訪問したとき、手土産として持参していた横山さんのパウンドケーキにオーナーが関心を示し、定期的にカフェでの出張販売を行うことになったのだ。
「オーナーの山垣さんから『米粉のお菓子をつくれない? グルテンフリーのカフェだから、お客さんも喜ぶと思って』と相談されました。それまでは小麦粉のお菓子しかつくったことがありませんでしたが、私も父親と同じで、新しいことに挑戦するのが好き。やってみよう、と思い立ちました」

さっそく米粉を使ったお菓子の試作を始めてみたが、その道のりは決して順調ではなかった。小麦粉のようなふんわりした食感が出せず、どうしても重く、固くなってしまうのだ。
「これはダメだ……と思う仕上がりを何度も経験しました。周りに話を聞いてみても、『米粉だからある程度はしょうがない、と思って食べている』という人も多くて。でも、せっかくつくるならば『米粉だから』ではなく、『おいしいから』選びたいと思ってもらえるお菓子たちを届けたい。どうにか形にしてみたいとやる気が湧いてきたんです」

何度も試作を重ねるなかで、ようやく納得のいく米粉のパウンドケーキが完成。「小麦より美味しい!」という声も届くようになり、今では定番商品として親しまれている。この、米粉スイーツへの取り組みを機に、2020年10月、『じいじ農園』の焼菓子を卒業し、名前を『Coeur a Coeur(クーラクー)』に変更。100%米粉使用でつくるグルテンフリーのお菓子専門店として一歩を踏み出した。
「Coeur a Coeurとは、フランス語で『心と心』という意味なんです。お菓子を手に取ってもらった方に、真心を込めてつくっている気持ちが伝わるといいな、という思いで名付けました。声に出したとき、明るく軽やかな気持ちになれる響きも気に入っています」

心と心のつながりを大切にする姿勢は、『Coeur a Coeur』の可能性も広げていった。日の出町にあった、地球にやさしい商品を扱うセレクトショップ『エコルシェ5302(2024年閉店)』で焼菓子を販売するようになって、自分も環境のために何かできることはないか、と考えるようになったという。
「SDGsを意識するようになって、できるだけ地域の食材を使って輸送にかかるCO2を減らしたり、規格外野菜を使ってフードロスを減らしたりと、自分なりに食にまつわる取り組みはやっていこうという意識が芽生えました。使用する食材も、『じいじ農園』の野菜以外は、国産ならそれで十分かな、と思っていたのですが、より地元・横須賀の食材に目を向けるようになったんです」





さまざまな人に寄り添う、ロースイーツにも挑戦
グルテンフリーのお菓子を専門にするようになってから、アレルギーや持病のある人、食の健康に気を使っている人との接点が増えた。動物性食品を使わないヴィーガンスイーツにも挑戦するようになったのは、そうした声に応えたいという思いからだった。その過程で生まれたのが、現在人気商品のひとつであるスノーボールクッキー。しかし、バターや卵を使わずにバリエーションを増やすのは簡単なことではなく、悩む日々が続いていた。
「ある日、ポップアップ販売に赴いた先で、お客様に『からだに優しいお菓子みたいだけど、私の食べられるものもあるかしら』と尋ねられました。聞くと、糖尿病の持病があるとのこと。素材にはずっと気を使ってきましたが、糖分に気をつけている方にはわたしの焼菓子はお役に立てません。それがずっと心に引っかかっていたんです」

もっと多くの人に安心して食べてもらえるお菓子はないだろうか。試行錯誤を重ねるなかで出会ったのが、非加熱でつくる「ロースイーツ」だった。小麦粉や白砂糖、乳製品を使わずに、生のナッツやドライフルーツなどを組み合わせて味わいを表現するスイーツだ。
「材料を混ぜて、冷やして固めるのが主な手順です。火を使わないので、酵素やビタミンなどの栄養素が熱によって壊れにくいという特徴もあります(※ナッツやココナツオイルにアレルギーがある方は注意が必要)。砂糖やグルテンを使用しないことで、血糖値の上昇が緩やかになるとも言われています。現在はフルーツを使ったローケーキ、焼かないクッキー、ロートリュフなどバリエーションも増えました」

将来的には、『じいじ農園』のほうれん草などを乾燥させてパウダー状にし、ロースイーツに取り入れてみたい、という構想もある。自分の作ったお菓子が誰かの体と心にやさしく届く。その実感が横山さんの背中をそっと押している。
「アレルギーや病気、ダイエットなどさまざまな理由でスイーツを我慢している方たちに、甘いものを食べる楽しさや喜びを少しでも届けられたら嬉しいです」
食と人とをつなぎながら、思い描く未来へ
お菓子づくりの先に、横山さんがいま温めている夢は、『じいじ農園』の敷地を活かしたくつろぎの場づくりだ。畑のすぐ近くに小さな休憩スペースを設けて、週に1〜2回だけオープンし、焼きたてのお菓子を提供できたらと考えている。


「やっぱり焼きたてのお菓子のおいしさは格別なんです。マルシェではなかなか提供できませんが、厨房があるこの場所なら実現できます。果樹ももっと植えて、収穫や農業体験ができるような場所にできたら……と、夢はどんどん膨らんでいます」

焼菓子という枠を越え、少しずつ広がっていく「食」の取り組み。その根底にあるのは「おいしさ」を通じて人とつながる喜びだ。直売所からマルシェでの対面販売、さらにワークショップの開催へと活動の場が広がるなかで、横山さん自身の気持ちにも変化が生まれてきたという。
「直売所で販売していた頃は、お客様の反応がわかりませんでした。でも、対面販売やワークショップ、SNSを通じてお声をいただくようになって、私のつくったお菓子で喜んでくださる人たちがいることが実感できました。」

そうして人とつながる喜びが増す中で、横須賀という土地へのまなざしにも変化が生まれてきたのだそう。
「若い世代の農家さんも増えていますし、マルシェに出てみると、起業や事業を始めるパワフルな女性が本当に多くて驚きました。子育て中でもそうでなくても、新しいことに挑戦する方たちの姿に、私もがんばろうと励まされています」

最近は、規格外野菜を無駄にしないための新たな取り組みにも力を入れ始めた。
「見た目がよくないというだけで捨てられてしまう野菜を、フリーズドライにして保存できるようにしたいんです。たとえば、お味噌汁にさっと入れられる乾燥野菜のミックスにして、忙しい方が『もう一品欲しい』と思ったときに使えるような、安心できる食材を届けられたらと考えています」

心と心をつなぐお菓子を思いの真ん中に置きながら、横山さんはこれからも、自分のペースでひとつずつ夢をかたちにしていくのだろう。
Staff Credit
Written by Aki Kiuchi
Photographed by Io Takeuchi
Written by Aki Kiuchi
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