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子供たちと共に歩んだ文房具店「好文堂」の77年

2024-04-12Knot

横須賀市鴨居三丁目、子どもたちの笑い声が響く小学校の隣に、誰もが目を引く趣深い文房具店がある。ここは1947年に設立された「好文堂」。店内から「こんにちは」と顔を出したのは、現在85歳の赤穂生弥子(ふみこ)さんだ。その愛らしい佇まいに、きっと多くの人が心安らいだのだろうと想像がつく。

昭和22年から続いた、地元の憩いの文房具店

77年の歴史がある「好文堂」を建てたのは、赤穂さんの義父。設立当初は薬局で、次に貸本屋となり、現在の文房具店へ移り変わった。 
「夫の父が三好という名前で、母の名前が文だったんです。ふたりの名を一文字ずつ取って、好文堂と命名したんですよ」と、なんとも心温まるエピソードだ。
店の佇まいは、現代の建築物にはない穏やかな空気が流れている。誰もが懐かしさを感じることだろう。しかし残念ながら、好文堂は今春をもって閉店した。
横須賀で多くの人から愛されたその歴史を少しでも残したいと、今回取材にお邪魔させていただいた。 

26歳で嫁いで始まった、文房具店の店主の暮らし

義父から叔母へ店が受け継がれ、そして最後に好文堂を切り盛りしたのは、3代目となる赤穂さん。 
「文房具店をやるなんて、若い頃は夢にも思っていませんでした。夫は教師だったので、教師の妻としてこれからやっていくのだ、と結婚したんですよ。そうしたら“お店を潰したくないから君がやってくれ”と言われて。経営なんて右も左もわからないのに」  
人生、何があるかわからないもんです。何度もこの言葉をつぶやいて、それでも赤穂さんは楽しそうに店内を見渡す。不安な気持ちでスタートした文房具店の運営だったが、始めてみると意外にも面白かったという。 

1本の鉛筆を真剣に選ぶ時間は、思い出の中

「小学校の始業のベルが鳴る前にね、登校中の生徒たちがワーッと店に駆け込んでくるんですよ。“今日は算数ノートが必要だった”とか、“赤鉛筆がなかった”とか。“三角定規が欲しい”とかね、毎日がもう大騒ぎ。だから、起床したらすぐ朝食をとって、毎朝7時半には店を開けるんです。いつでも子供たちを迎えられるように準備していましたね」 
赤穂さんは懐かしそうに目を細める。「時代と共に子供の様子は変わっていきましたが、そんな中でも記憶に残っている子っているんですよ」と、話すうちに思い出が溢れてくる。  
「文房具が好きな男の子がいて、6年間毎日のように店に通ってくれたことがありました。長い時間をかけて鉛筆1本を選ぶんですよ。ときには、そんなに消しゴムばっかり買ってどうするの? なんて、こちらが心配するくらい大量に消しゴムだけを買う子もいましたね。 
今はネットでお目当てのものがすぐ見つかる時代だけど、“ああでもない、こうでもない”とお財布の中身と睨めっこしながら、時間をかけて選ぶのは楽しいもんです。私もそれを見るのが楽しかった。そういう時間は、お店でしか得られない時間ですね」 

台風で看板が飛んでいったら、お店を閉めよう

そんな赤穂さんの文房具店に転機が訪れたのは3年前。 
「夫の胃癌が見つかり、全摘したんです。本人の希望で自宅療養することになりました。お店を閉めようかと思ったのですが、ケアマネージャーさんが“絶対にお店は続けた方がいい”とアドバイスしてくれて」  
その言葉通り、どんな時もお店に立つと気持ちがシャンとしたという赤穂さん。長年、体に染み付いたルーティーンは、いつの間にか元気の源になっていたのだ。「夫の看病だけでは、きっと私も倒れていたでしょう」と話す。 
「自分も肺癌を3回繰り返したので、手術のたびにお店をやめようと思いました。数年前に大きな台風がきたとき、朝起きて看板が飛んでいたら、今度こそ店を閉じよう。娘に寝る前に、そう話したこともあります。 
けれど、朝起きてみたら、あれだけ激しい台風だったにも関わらず、看板はしっかり屋根に付いているじゃないですか。それを見たとき、“あぁ、まだやめどきではないのか”と、お店を開ける準備を始めるんです」。そんなエピソードのひとつずつが、どこか漫画のように可笑しく、愛おしい。
台風で飛ばなかった丈夫な看板

映画の舞台になって、店にはロケ隊50人!

好文堂の歴史を語る上で、なくてはならないのが映画「釣りバカ日誌」の舞台になったこと。 
「松竹の方がフラッと訪ねてきて、“こういうお店を探していた!”とおっしゃるんです。古くて、学校のそばにあって、そんな文房具店を探していたとか」  
古くて恥ずかしいのでやめてくださいと言ったものの、「こんな素晴らしい立地はない」とキッパリ言われ、翌日ロケハンに来た監督からも一発OK。あれよあれよという間に、鴨居の文房具店にはスタッフ50人が集まり、撮影が始まったそう。 
撮影の際、看板が「浜崎文具店」に貼り直されたことから、子供たちが心配して「好文堂、やめちゃうの?」と覗きにきたこともあった。赤穂さんの話から、どれだけ多くの子供たちに愛されてきたかがよくわかる。みんなのかけがえのない好文堂なのだ。  
クランクアップの日、出演していた榊原郁恵さんと撮影してもらったと、嬉しそうに記念写真を見せてくれた赤穂さん。  

閉店を決めてから思ったこと

そんな楽しい思い出が詰まった店も、昨年末に夫が他界し、さらに長い付き合いだった卸問屋がやめることになった時、ついに赤穂さんも閉店を決めた。 
「思えば、私の人生は店と共にありました。長らく店をやってきて、良いことしかなかったです。大変なことも勿論ありましたが、楽しかったことしか今は思い出せない。店頭に立てば、必ず誰かが来てくれましたから。自宅とはまた違う気軽さがここにはありました」 
子供が大好きだったという夫は、店で手品を披露することも多かったという。 
「文房具店で手品だなんて、おかしいでしょ。それでも子供たちが喜ぶから、夫も続けていましたね。そんな夫の口癖は、“自分が生きているうちは、店を壊すな”でした」 
遺言とも取れるその言葉を、最後まで守った赤穂さんだった。 
取材に訪れた日は、折しも閉店セールの真っ只中。「77年の歴史がある文房具店だけに、後片付けも大変なんです」と、赤穂さんは笑う。 
店内には、手に取ると懐かしさが蘇る鉛筆キャップやノート、棚には水泳帽や給食帽まで。まだまだ所狭しと商品が残っていた。急に店が無くなっては、学校のものが買えないと子供たちが困るから、しばらくはひっそり開けておくのだという。 
 閉店は決めたものの、少しでも店に立っていたいと、どこかで願う赤穂さんの想いに触れたような気がした。店はなくなっても、子供たちに愛され、毎朝早くから店を開け続けた記憶は消えない。 
横須賀の鴨居という場所に、いつでも温かく迎えてくれる文房具店があったこと。小学校に通っていた子供たちの淡い思い出の中に、好文堂は今も在り続ける。 
Staff Credit
Written by Tokiko Nitta
Photographed by Io Takeuchi
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