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中東海人さん(記者)

2024-11-29Knot

神奈川県~東京多摩地域で毎週発行されている、地域密着型フリーペーパー『タウンニュース』。全国紙では補いきれないローカルな情報網を駆使して、地域に暮らす人たちが必要とするニュースを届けている。その横須賀支社に勤務する期待の新人記者が、地元生まれの中東海人さんだ。かつて「何もない」と感じていた故郷・横須賀の魅力を、取材を重ねながら再発見している、と話す中東さんの目に映るこの街の姿とは――。

「新聞」の重要性を感じ取り、記者の道へ

中東海人さんが記者を志したのは浪人生だった2017年。ある日、「社会の中で私たちがどう生きるか、自分たちで考えなければいけません」という言葉とともに、予備校の日本史の先生が新聞記事の切り抜きを配った。その内容は、当時可決されようとしていた「共謀罪(※)」に関するものだった。
※共謀罪:組織的な犯罪の計画段階で処罰を可能にする法律。2017年に「テロ等準備罪」として成立。市民生活への影響を懸念する声も多く、当時、大きな社会的議論を呼んでいた。 
「記事では、法案の抱える問題点を歴史的な流れの中で指摘していました。それまで見ていたのはネットニュースばかりで、ほとんど新聞を読んだことはありませんでしたが、先生の解説を聞きながら記事に目を通して初めて、日本史の授業で学んだ戦前の歴史と僕たちが生きる現代の課題が重なって見えた。それまでどこか他人事のようだった社会の出来事が、たったひとつの新聞記事から“自分ごと”として捉えられるようになったんです」
社会課題を分かりやすく伝え、問題意識を持たせてくれる「新聞」。その重要性を感じ取った中東さんは大学の新聞学科に進学、メディア論を学ぶ。しかし業界研究を進めるうち、インターネットの普及で部数減少が続く新聞業界の状況がいかに深刻かも分かってきた。
「大学では記者を志す仲間もでき、彼らとずっとジャーナリズムを続けていきたい。でも、このままでは新聞がなくなってしまうんじゃないか、という危機感を覚えました。就職を前に、このまま記者になっていいのか、僕にできることはなんだろう、と真剣に考える中で、これからの記者は報道だけを追求する従来のスタイルではなく、事業を存続していくための経営視点も持たなければいけない、と強く感じました。そこで、ニュース記事と広告の両面で媒体価値を高めている『タウンニュース』に入社し、記者をしながら営業も手掛けて、メディア運営のノウハウを身につけよう、と考えたんです」

街の小さな変化が、社会の動きを映し出す

中東さんにとって『タウンニュース』は、記者になる以前から身近な存在だった。さかのぼること15年以上前、通っていた小学校で英語劇『浦島太郎』が催され、主役を務めた小学2年生の中東さんの熱演がタウンニュースの記事として掲載されたのだ。
「あまり目立つタイプではなかったのに、なぜかやる気になって立候補しまして。自分の写真が載っているのを見て、子どもながらに感激したのを覚えています。親がとても喜んでいたのも印象的ですね」
そのときの感動を胸に、市内近郊の身近な話題を丁寧に追いかける。「たとえ地域の小さな関心事だとしても、そこから社会全体への興味を育むことができる」というのが信念だ。というのも、興味のある記事だけを選んで読むネットニュースと違い、『タウンニュース』のような紙媒体は、見開きの中にさまざまなトピックが掲載されている。商店街に新しくオープンした店舗の紹介記事を読んでいたら、ふとその横にある地域課題を考える記事に目が留まる……といった、情報との思いがけない出会いを提供できる強みがある。
「街のニュースだって、実は社会全体の動きと地続きです。例えば、国の法改正で大型店の出店規制が緩和されると、地元の商店街が衰退してしまうかもしれません。逆に、商店街の魅力が高まれば、市外からの訪問者が増えて地域経済が活性化する。自分の街で起きていることを知り、考えることが、社会への関心につながっていく。記事を通じて、それを伝えていくのが地域メディアの役目だと思います」

「記者の目」で再発見した、横須賀の面白さ

横須賀のローカルニュースにアンテナを張って、東に西に動きまわる中東さんだが、「実は、ずっと地元がキライだったんです」と照れ笑いする。中学時代の環境に息苦しさを感じたのが、その大きな理由だった。
「校則がものすごく厳しくて、髪が眉や耳にかかることすら許されません。集団行動の中でできあがる序列みたいなものにも窮屈さを感じましたし、狭い世界のようでつまらなく見えた。そういう空気からいったん抜け出してみたくて、横浜の高校へと進学したんです」
高校生活の舞台となった横浜で、目覚めたのは街歩きの面白さだ。高低差のある地形や海など故郷との共通点はありつつも、石造りの古い建築と大小さまざまなショップが織りなす洗練された雰囲気に新鮮さを感じたという。しかし、中東さんの心を最も捉えたのは “おしゃれな横浜” ではなく、地に足の着いた人の営みが感じられる「商店街」だった。
「たとえば『横浜橋通商店街』を歩くと、魚屋や八百屋が並ぶ市場や、昔ながらの商店もあって、店先ではいつも誰かが立ち話をしています。魚を買うときに値段交渉したり、八百屋では旬の野菜の食べ方を教えてくれたり。一人ひとりの顔が見えるお店が集まっている『商店街』という空間と、そこに漂う独特の活気や温かみに惹かれました。暮らすなら、こういう場所がある街がいいなと思ったんです」
記者となり、改めて歩いた横須賀は、記憶の中の「つまらない」姿とはまた違って見えた。特に印象的だったのは、谷戸地形が生み出す独特の街並みの面白さだ。
「複雑な崖地に張り付くように家が建ち並び、そこを縫うように走る細い路地は、まるで住民たちが長い時間をかけて形成した獣道のようです。僕にとってあたりまえの風景だったこの場所にも人の営みが刻まれているんだ、と気づかされました」
移住者たちとの出会いもまた、新たな横須賀を発見する一助になった。移住者との交流会に参加するたびに、市外から来た人々が横須賀の魅力を熱く語るのを聞いたからだ。
「横須賀の人は温かい、と言われるんです。他の地域と比べて立ち話をする機会が多いとか、商店街に心がホッとするやり取りがあるとか。たしかに、人情味があふれる街なんですよね。地元の人間には当たり前すぎて見えないことを、外から来た人は新鮮な目で見てくれる。そんな話を聞くたびに、私自身も横須賀のことをもっと知りたくなりました」

夢はいったん脇に置き、もっと横須賀を知るために

『タウンニュース』に入社する前の中東さんは、ゆくゆくはメディア業界の変革を目指したい、という大きな夢を持っていた。サブスクリプション型の報道システムなど、既存の新聞とは違うビジネスモデルを模索したいと考えていたのだ。しかし今はその夢をいったん脇に置くことにしたという。
「横須賀にはまだまだ魅力がたくさんあって、今の僕はそれを知らないんだということに気づいてしまったので、しばらくは横須賀・三浦の地域にしっかり関わっていこうと決めました」
記者としてだけでなく、ひとりの市民としても横須賀を知っていきたいし、この街の面白さを伝えていけたら。そんな思いから、市内外の友人を誘って横須賀市内を歩くようにもなった。つい先日も、戦後のヤミ市を起源とする繁華街『若松マーケット』に行ってきたばかりだ。
「昔から横須賀に住んでいる友だちを誘うと、最初は『怖い』って言うんですよ。たしかに数十年前は “夜の街” のイメージが強かったかもしれない。けれど今は安全で、個性豊かな個人店が集まっていて面白い、と話すうち、『行ってみようか』と興味を持ってくれることも多いんです。昭和を感じる街並みの中で、気さくなお店の方々とお酒を飲み世間話をする体験をすると、今度は友だちのほうが『誰かを誘ってまた来たい』と言ってくれる。人から人へ、横須賀の楽しみ方が広がっていくんです」
休日には友人らとバンド活動をしている中東さん。街の人々の暮らしを取材する記者として、自身も横須賀の文化の担い手になろうとしている。
「横須賀には何もない」。そう思っている人たちに、記事を通して街の小さな魅力や変化を伝えていく。そこで人と人がつながり、新しい発見が生まれる、それこそが地域メディアの記者としての役割だと、中東さん。
「この何気ない日常、当たり前に見える風景の中に、実は他の街にはない横須賀らしさが息づいていることを、特に僕のような若い世代に気づいてほしい。そのためにできることをこれからも模索し続けます」
窮屈だし、つまらない。そう感じていた横須賀を記者として歩き、街の魅力を再発見した中東さん。地元の人たちにとって「あたりまえ」の風景に宿る個性を一つひとつすくい上げ、伝えていく。そんな営みの積み重ねが、これからの新しい横須賀の輪郭を浮き上がらせていくのだろう。
Staff Credit
Written by Aki Kiuchi
Photographed by Io Takeuchi
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