JR衣笠駅から15分ほど歩き、『曹源寺入口』交差点に出る。すると、黒を基調に商店建築をリノベした、レトロモダンな一軒家が見えてくる。『SPECIALTY COFFEE BEANS No.13』は、自家焙煎の浅煎りコーヒーを提供する、カフェを併設したコーヒー専門店だ。
横須賀初「YOKOSUKA COFFEE FESTIVAL」を主催
古くから喫茶店文化が街に根づき、コーヒー愛好家も少なくない横須賀の街。しかし近年はじわりじわりと喫茶店の数も減っている。そんな状況をなんとか変えていきたい、と考えたのが、2022年にオープンした『SPECIALTY COFFEE BEANS No.13』のオーナー・野口量司さん。横須賀のコーヒーカルチャーを活性化させる手段のひとつとして、市内でコーヒーフェスティバルを開催できないか、と思い立った。
「実際、横浜や逗子ではコーヒーフェスティバルが開催され、多くの人を集めています。横須賀市でもフェスを行えば、市民の皆さんがあらためて地元のコーヒー文化に意識を寄せ、暮らしにもっとコーヒーが浸透していくきっかけになるかも、と考えました」
仲間を集めてすぐ動き出したものの、初の試みだけに準備は手探り。告知の時間も十分とは言えず、開催直前まで来場者数の見込みは立たなかったという。
「正直なところ、本当にお客様が来てくださるのか、当日を迎えるまでものすごく不安でした。しかし蓋を開けてみると約1200人もの来場があり、大盛況で終えることができたんです。その中には市外、県外からのお客様も。横須賀のコーヒーカルチャーにはまだまだ可能性がある、と手応えをつかむことができました」
1冊の小説をきっかけに、働きながらバリスタの学校へ
横須賀・浦賀で育った野口さん。高校卒業後はエネルギー関連の企業に就職、安定した生活を送っていたが、どこか「これが本当にやりたいことだったんだろうか」という満ち足りない思いも抱えていた。
そんなとき、たまたま北海道に旅行し、移動の暇つぶしにと『珈琲店 タレーランの事件簿』という小説を手にする。女性バリスタを主人公としたその作品を読むうち、これまであまり興味のなかった「コーヒー」が面白そうに見えてきた。
「長年『コーヒーは苦い』というイメージがあって、あまりおいしいと思っていないのに我慢して飲んでいたんです(笑)。でも、作中に出てきたバリスタがコーヒーを淹れる描写はとてもカッコ良かった。ビビッと来てすぐに調べると、土日で通えるバリスタの専門学校を見つけました。そこに通い始めたのが23歳のときです」
学校で学んだのは主に、エスプレッソに代表されるイタリアンコーヒー。コーヒーにも多様な飲み方があるのを知り、目からウロコが落ちる日々だったという。
「コーヒー豆本来の味わいを引き立てるために、砂糖を加えたり泡立てたミルクと合わせたり、苦みと甘みを調和させるいろんな淹れ方があって。もっとおいしく淹れられるようになりたいと、時間をつくって夢中で練習していました」
浅煎りコーヒーと出会い、その魅力に引きこまれて
初めて知る、コーヒーの広がりにすっかりのめり込んだ野口さん。休日を利用してコーヒー店巡りをはじめるようになったある日、人生の転機が訪れる。
「都内のコーヒー専門店で、生まれて初めて浅煎りのスペシャルティコーヒーを飲んだんです。今まで体験したことのないほどフルーティーで、『コーヒーでこんな味が出せるのか!』と」
スペシャルティコーヒーとは、国ではなく農園単位でコーヒー豆の品質を評価する「シングルオリジン」を重んじ、生産手法やトレーサビリティにも着目したコーヒーのこと。コーヒーの品質を大切にするこういったムーブメントは、日本でもまだ始まったばかりだったという。
「その一杯をきっかけに、浅煎りコーヒーをもっと知りたくなって勉強を始めました。農園や豆の品種、焙煎方法など知れば知るほど奥深くて。この頃もまだエネルギー関連企業で働き続けていましたが、なんとかコーヒーを仕事にできないかと道を模索するようになってもいました」
『丸山珈琲』での修業を経て、生まれた街で開業
スペシャルティコーヒーの奥行きについて学ぶほど、独学の限界を感じるようになった野口さんは、コーヒー業界への転職を試みるも、滅多に出ない正社員バリスタの求人は競争率が高く、不採用に涙を飲む日々が2~3年続いた。
しかし2015年、スペシャルティコーヒーを90年代から手がけてきた専門店『丸山珈琲』が鎌倉店をオープン。退路を断つ思いで会社を辞め、アルバイトスタッフとして入社を決めた。しかしそこは、想像以上に厳しい世界だった。
「まずはサービスから仕事を覚えるのですが、接客やコーヒーに関する説明が完璧にできないうちは豆に触らせてももらえません。飲食店で働いた経験のない僕はできないことだらけで、何度も怒られました」
しかし自分の店を持った今振りかえると、あのときの経験すべてが血肉となって自分を支えてくれている、と感じるのだそう。
「世界的なバリスタの大会で入賞者を続々と出しているような店なので、抽出の仕方も求められる基準値が高いですし、安定したテイスティングが行える技術も持っている。一度それらが身につくと、設備や器具など環境が変わったとしても抽出の品質を維持できるんです」
3年間、技術向上に勤しんだ後、佐野町に開店したのが『SPECIALTY COFFEE BEANS No.13』。店名のNo.13は、野口さんのイニシャルと自身の誕生日である13日に由来している。
「目の前のお客様に、心を込めて淹れたおいしいコーヒーを届けたい。その初心を忘れないためにも、自分自身の原点を店名にすることにしました」
地元でコーヒーパーソンを育てて、横須賀をコーヒーの街に
パナマ、ホンジュラス、ブルンジ、中国……世界各国の生産者から届く、10~15種のスペシャルティコーヒーを常時用意。注文を受けてから豆を挽き、一杯ずつハンドドリップするスタイルを貫いている。
また、ラテなどのアレンジコーヒーや、コーヒーを使ったアルコール、スイーツなども。店内にはソファ席のほか、ひとりでも快適なカウンターやテラス席も設けられ、コーヒーの香りに包まれながら思い思いに過ごすことができる。
野口さんの目標は、いつか自分の足で生産地に赴いてコーヒー豆を買い付けることだ。
「農園主と直接お話しができれば、収穫したコーヒーの味わいはもちろん、そこに込められた思いまでお客様にお伝えできると思うんです。長くお付き合いしているコーヒー農園がラオスにあるので、まずはそこから行動を開始したいですね」
生産者が大切に育んだコーヒー豆を日本に迎え、最良の形でお客様に飲んでいただく。そんな架け橋となる人材を育成するのも夢のひとつだという。
「かつて僕がたくさんのことをコーヒーの先人たちから教えてもらったように、僕も地元・横須賀でバリスタを育成して独立のサポートをしていきたい。そうすれば、日常の中にコーヒーがある風景が、横須賀でもっとあたりまえになっていく気がして」
フェス開催のような新しい風を呼びこんで、地域のコーヒー文化を活性化させていけたら。まだ始まったばかりの野口さんの挑戦に、これからも注目したい。
Staff Credit
Written by Aki Kiuchi
Photographed by Io Takeuchi
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