京急久里浜駅前のはろーど通り沿い。雑居ビルの階段を上がってたどり着く隠れ家的ロケーションに、優しい陽光に包まれた気持ちのいい空間がある。『腸食キムチ工房 ととのい』は、腸に良いとされる発酵食品を取り入れた “腸活” ごはんとキムチの店。長年の心身の不調を食生活の改善で乗り越えた店主の西村さつきさんが、自身の経験を活かして作り上げた「ととのう」ごはんは、いま着々とファンを増やしている。
崩れた体調をととのえてくれた、“腸活”との出会い
『腸食キムチ工房 ととのい』店主の西村さつきさんが、“腸活”に着目するそもそものきっかけは2011年の東日本大震災で大きく体調を崩したこと。PTSD・うつ病・パニック・心身症など様々な症状に悩まされ、時には外出もままならないほどの不調が9年ほど続いた。しかし、2020年のコロナ禍で腸活や免疫力の重要性が大きな話題に。そのことで、食事の大切さに意識が向きはじめたという。
「腸内細菌のバランスが良くなると、セロトニンなど精神の安定に関わるホルモンの分泌が促進され、心の健康にもいい影響があると知って。その頃の私は不調に振り回されるようにして、生活リズムも食生活もガタガタ。この苦しみからなんとか抜け出したい一心で、日々の食事を見直すことにしました」
食材を選び、調理し、食べる。生きることの原点とも言えるこの過程に向き合うことで、「食事」の持つ意味とはなにかを実感していった、と西村さん。
「それまで私にとって食事は、単に栄養を取るだけのものでした。でも、作って食べるまでの一連の過程に喜びや楽しみを見出すことで、心も満たされていくのを感じたんです。和食の魅力に目覚めたのもこのとき。味噌や醤油、漬け物など腸内細菌のエサになる発酵食品が多いし、旬の食材を使うので、自ずとふだんの食生活も自然のリズムに沿ったものに変わっていきました」
和食中心の食生活に切り替え、意識的に発酵食品を摂るようにしたところ、体はもちろん、心にも大きな変化が訪れた。
「前はネガティブに考えるのがクセで、すぐ『しんどい、ツラい』と思っていたんです。でも、食生活を変えてみたら、困難なできごとがあっても『じゃあこうしてみようか』と前向きに考えられるようになりました。セロトニンのおかげどうかは分かりません(笑)。でも確実に、人生の選択肢が増えた気がしました。食事を変えることで、こんなにも心と体が変わる。この驚きと喜びを、多くの人と分かち合いたいと思ったんです」
試行錯誤の末に生まれた、こだわりの『腸活キムチ』
腸活を通じて発酵食品への関心が高まる中、西村さんはキムチ作りにも挑戦する。もともと好物だったのだが、市販のキムチに使われる唐辛子やニンニクの量は長年の不調で弱った胃腸には刺激が強すぎたのだ。キムチ作り講座に参加してみると、食材の選び方や調理方法、発酵の仕方など、各工程に意味があるのを知った。それら一つひとつが重なり、最終的に豊かな味わいを生み出す奥深さにすっかり魅了されたという。
「ニンニクは控えめにするなど胃への負担を軽減することから始めて、次に腸活の視点を取り入れたレシピができないか試行錯誤をはじめたんです。腸内細菌の好物である食物繊維を増量しようと、白菜だけでなく切り干し大根も加えてみたり、栄養価の向上を狙って、白ゴマの代わりに黒すりゴマを使用してみたり。どうすれば腸内環境の改善につながるか、工夫を重ねていきました」
研究の末に完成した『腸活キムチ』は、辛さを抑えながらも、深い旨味と複雑な味わいを持つ新しいタイプのキムチとなった。こうした食の挑戦を含め、西村さんはインスタグラムで自身の体験や食生活による心身の変化を発信し続けていた。これまでの経験が、同じような心身の不調に悩む人にとって改善のヒントになるかもしれない、と考えていたからだ。この過程で大きな支えになったのが、すでにインスタグラマーとして活躍していた姉の存在。「毎日投稿すること、特にデイリーストーリーは欠かさないこと」などフォロワーとつながりを築くためのアドバイスをもらいながら、日々の食事の様子や失敗談まで、等身大の姿を発信。西村さんのインスタグラムは腸活を通じてハッピーになりたいと願う人たちのコミュニケーションの場へと成長していった。
1.7万人のフォロワーの思いと共に、実現させた開店
最初は自分の体調を良くするために、と作りはじめたキムチだったが、フォロワーからの要望に応える形で、自宅で作った腸活キムチの少量販売を始めた。しかし2021年、自家製キムチの販売には製造許可が必要、という法改正が行われた。
「きちんと許可を取ったうえでキムチを販売し、腸活の大切さを伝えていきたい。でも、経営に関心のない私が事業化を手がけるのは現実的じゃないな、と思いました。そこで、自分の会社を立ち上げて経営をしているパートナーに、『キムチが作れるお店をやりたいので、経営をしてくれませんか?』とお願いしたら、『いいよ』と言ってくれて」
思いを受け取る形で経営に参加したパートナーは、西村さんが思ってもみなかった提案を投げかける。
「そんなに求めてくれるフォロワーさんがいるなら、クラウドファンディングを使って彼らと一緒に腸活キムチの工房をつくればいいんじゃない? と言われて。目からウロコのこの提案をきっかけに、工房兼お店をオープンするためのクラウドファンディングに挑戦することになったんです」
腸活の発信を始めてからの3年間で、1.7万人以上となっていたフォロワーに呼びかける形で資金を調達。2024年2月、現在の久里浜の地に『腸食キムチ工房 ととのい』がオープンする。お店のメニューに『腸活キムチ』があるのはもちろん、西村さんがインスタグラムで紹介してきた腸活レシピも数多く取り入れられている。
新しいハッピーの循環を、久里浜から広げていきたい
久里浜を開業の地に選んだのは、横須賀とのご縁ができたから。体調を崩してから、静かで落ち着ける環境を求めていた西村さんが2021年に移住したのがこの街だったのだ。今住んでいる家は山や畑が近くにあり、ちょっと足を伸ばせば海もある最高の場所なのだそう。
「飼っている2匹の猫ものびのびしていて、日々環境の良さを実感しています。でも開業するならフォロワーさんが来やすいよう、できれば駅の近くがいいので、それなら『お世話になった久里浜の駅前でやりたい!』と。最初は、移住者が開業するのを地元の人はどう感じるだろう、と不安もあったのですが、ご近所の飲食店の方たちがいろいろアドバイスしてくれるなど、とても親切にしてもらって。今では同士と呼べるような仲間もできました。地元愛が強いのに排他的なところがなく、よそ者にも寛容なお土地柄が感じられて、あらためて久里浜はいいところだなぁって」
地域との交流が深まるにつれ、「少しでも地元の経済に貢献できたら」という思いも生まれてきた。現在お店で提供している腸活料理には、横須賀~三浦地域の農家で採れる旬の野菜がふんだんに使用されている。
「地域の野菜は新鮮ですし、輸送距離が短いので環境にかかる負荷も少ない。直接取引をすることで、地元の農家さんに利益を還元しやすくなる。横須賀の食材で作る腸活料理は、まさに『地産地消』の理想形なんです。また、傷のついた野菜は品質に問題がなくても廃棄の対象になるそうですが、キムチの材料としてなら問題なく使えます。廃棄が減れば農家さんの助けにもなるし、お客さんにも手頃な価格でキムチを提供できる。一歩ずつではありますが、地域にいい循環を生み出していきたいです」
西村さんの次なる目標は医療との連携だ。それも、医療従事者や患者の家族など、ケアをする人たちのサポートがしたいのだとか。
「私自身、病院に通っていた経験がありますが、入院中のお子さんに付き添うお母さんや看護師さんなど、病院でケアをしている方たちがコンビニ食を食べている姿をよく見かけました。例えば、病院の中にある売店に『腸活キムチ』を置くことができたら、食事に一品加えるだけで、より体に優しい食事になるのではないか、と」
思いを実現するため、地元の医療機関とコンタクトを取り始めているが、医療従事者の反応は上々とのこと。まずはお店を3年間続け、その間に医療機関との連携を形にしたいと思い描いている。
「しっくり来る場所に出会うまで住まいを転々としてきましたが、自然がいっぱいで愛猫たちも幸せそうな今の環境に出会って、自分を労うことができています。だから横須賀に“住まわせてもらっている”という感謝の気持ちを忘れたくない。久里浜を拠点に、地域の皆さんの健康と幸せに少しでも貢献して、ハッピーな人を増やしていけたらいいな、と考えています」
Staff Credit
Written by Aki Kiuchi
Photographed by Io Takeuchi
Written by Aki Kiuchi
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