『上町銀座商店街』にある祭礼用品専門店『みどり屋』。番頭として店頭に立つ山田義明さんは上町で生まれ育った地元ッ子だ。父の跡を継いで4代目となる立場だが、もともとは「家業を営む人生は想像もしていなかった」と話す。横須賀を出るつもりでいたひとりの若者が、お祭りを通じて地元の活性化を応援するようになるまでのストーリーを聞いた。
大正時代に創業して以来、上町の地で代々商いを続けてきた『みどり屋』。山田さんが子ども時代を過ごしたのは1970~80年代。当時の横須賀は、市内に次々と新しい団地が建ち、高校生になる頃には人口も43万人台を記録するほど、景気も人口も右肩上がりの真っ只中だった。
「漠然と、『このまま街は大きくなるんだろうな』と思いながら育ちました。しかし実際は90年代以降の円高やバブル崩壊のあおりを受け、市内の基幹産業だった工場などが次々と海外に移転してしまって」
仕事の場を失った人たちが横須賀を離れ、同級生も減っていく。公務員やベース(米軍基地)に仕事が決まった人など、地元に残る顔ぶれは限られ、多くの若者が市外へと出て行った。大学時代の山田さんも、いずれは横須賀を離れて企業勤めをするつもりでいたが、卒業を迎える頃は未曾有の就職氷河期。思うように仕事が見つけられず、やむなく家業を手伝う流れに。
「東京で働きたかったので、正直始めはいやいや手伝っていました。しかし商売を通じて地元の方々と交流するうち、『横須賀って結構いいところだな』と感じるようになったんです」
旬の採れたてスイカやキャベツを持ってきてくれる農家のお客様。さっきまで生きていた新鮮なタチウオやアジを差し入れてくれる漁師のお客様。それは子どもの頃から見慣れたやり取りだったが、大人になれば、小さなタチウオの塩焼きでも都心では千円ほどするのが分かってくる。
「いかに豊かな自然の恵みが近くにあり、今も温かい人づきあいが残っているのか、店にいると実感しまして。これまであたりまえだと思っていた地元の魅力を、少しずつ再認識できるようになりました」
“自分ごと” として家業に取り組むようになってから、高まっていったのはものづくりに対する思い。長年和装を扱ってきた『みどり屋』では、伝統的な藍染めの技法を使った祭りばんてんをつくることができるため、祭りを愛する人はもちろん企業からも注文が入る。
綿密な打合せで模様や柄を決めてから、和紙に柿渋を塗って絹糸を斜貼りした「染め型」をつくる。それらを生地の上に置き、糊をつけ、藍瓶の中につけ込むと、糊のついていない部分だけが藍色に染まり、模様が浮き上がるという寸法だ。
「うちはお客様と生産現場の間に立つ役割で、染めるのも縫うのも職人の手仕事なしには成り立ちません。しかしコロナ禍で3年お祭りができなかったことが影響し、高齢化が進んでいた生産現場では商いを畳んでしまったところも。需要は回復してきても、肝心のものをつくれる人が年々減っている状況です」
技術継承の危機に直面している昔ながらの手仕事を守っていきたい。そんな思いから、地元のお店を中心に、和柄のロゴ制作やのれんのオーダーなども手がけるようになった。
「神社に奉納する神前幕もつくっていますから、のれんは同じ技術が使えるんです。とはいえ、今はネット通販でかんたんにプリントのれんがつくれる時代。主に横須賀~三浦地域のお客様から受注を承っているのは、お店の特色や地域性を理解したうえで『みどり屋』ならではのご提案ができるようにしたかったからです」
『みどり屋』での仕事を始めて間もない頃から、現在まで続けてきたライフワークが山田さんにはある。それは、横須賀・三浦半島一円で祭礼があるたび、カメラ片手に足を運び、写真を撮影することだ。
「一般的な『お祭り』のイメージを聞くと、神社のまわりに出ている露店を想像する人が多いんです。でも本来の主体は神様に感謝する『神事』で、お神輿の形や担ぎ方、お囃子の様子ひとつとっても、地域によってたくさんの違いがあるんです」
例えば、走水神社では神輿を担いだまま海に入るし、三浦の松輪地区に行くと“担ぎ屋台”と呼ばれる山車を、人々が押したり引っ張ったりしながら地域を回る。「その多様な姿を見ているうちに、どんどん撮るのが面白くなって」と山田さんは瞳を輝かせる。
20年近い歳月をかけて、撮りためた祭礼の写真はなんと数千枚にも。その一部は『みどり屋』のショーウインドーにも展示されている。
「近場であれば『大体似たような祭りをやっているんだろう』と思ってしまうかもしれませんが、こんなに小さな三浦半島の中でも地域の特色や文化が反映されたいろいろな祭りが受け継がれている。その面白さをぜひ市民の皆さまにも知っていただきたくて」
横須賀の「祭り文化」を間近で見つづけてきた山田さん。お祭りが地域社会にもたらす意義について、どのように考えているのか。
「地域のつながりを強くする、というのは祭りのメリットだと思います。地域行事はほかにもありますが、運動会だと健康な人だけ、子ども会だと子どものいる家庭だけ、とコミュニケーションの幅が限られやすい面がある。しかしお祭りは、お神輿くぐりにくる赤ちゃんからおにぎりを握ってくれるおばあちゃん、今住んでいる人から昔住んでいた人まで、世代や場所を超えた幅広い交流が自然に生まれるんです」
祭りに熱心なある地域では、コロナ禍の最中に地元の若い世代が高齢者の自宅を一軒ずつ回り、オンラインでワクチンの予約を取るのを自発的に手伝っていたのだとか。
「まず、どこの誰が困っていそうか把握しているのがすごいことですし、自ら働きかけたり、頼んだりできるのは、お互いに信頼関係があるから。普段からお祭りを通じて地域の課題解決や意見交換をしているから、いざというときサッと動けるんだろうな、と感心しました」
少子高齢化に伴って子どもや若者の数が減り、祭りを続けていくのが難しくなっている、という声も聞く。祭り文化のこれからについて思いを聞いてみた。
「伝統文化を守る行事は、どうしても新しく来た人が加わりづらい面があると思うんです。ある町内会では、お囃子の練習を『夏休みの子ども向けイベント』という形にしたことで、地域の子どもたちとその親御さんまで祭りに加わるようになり、町内全体の活性化につながっています。伝統を守りつつ、時代に合わせて新しい形を柔軟に取り入れることが求められているのかもしれません」
それぞれの地域が持つ個性を活かしながら、横須賀が元気になっていくことが山田さんの願いだ。
「浦賀、久里浜、長井、秋谷ほか、横須賀はもともと地域色が豊かな場所です。祭りを通してそういった個性に気づき、それぞれのエリアらしい活気が生まれていけば、街全体も元気になる。『みどり屋』ができるのは衣装の販売ですが、祭りという文化を通じて地元を盛り上げようという志を持った人たちを、陰ながらしっかりと支えていきたいですね」
Staff Credit
Written by Aki Kiuchi
Photographed by Yui Kuwabara
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Photographed by Yui Kuwabara