東京湾と相模湾に面した横須賀は、多彩な魚種が水揚げされる豊かな漁場だ。アジ、サバ、しらすなどが有名だが、ここには、知る人ぞ知る名品が存在する。それが、わかめだ。無人島・猿島付近で獲れる「猿島わかめ」。葉っぱが大きくて、柔らかく、風味が豊かなわかめは絶品だ。
この「猿島わかめ」の味を守るため、地元飲食店経営者らとも協力しながら猿島で養殖を30年近く続ける漁師がいるという。早速港へ向かうと、”ぶっきらぼうで頑固”…そんな海の男のイメージとはかけ離れた、優しい笑顔の譲原亮さんが迎えてくれた。
家業を守るため、27歳で漁師の道へ
横須賀でわかめの養殖が始まったのは50年ほど前。譲原さんの祖父の代が、わかめ生産量日本一を誇る岩手県の三陸に視察に行ったことから始まった。
東京湾は江戸川をはじめたくさんの川が流入し、窒素やリンなどの栄養が豊富に含まれ、また山から冷たい水を運んれくれるおかげで低い水温が保たれやすく、漁場として非常に豊かで、わかめの養殖にも適している。
当時は60軒近くがわかめの養殖を行っていたそうだが、漁師の高齢化に加え、作業が重労働であることも災いし、年々養殖を行う漁師が減少。現在は10軒ほどになってしまったという。
その内の一軒、「父から受け継いだ美味しいわかめを大切に守り続けたい」と日々わかめと向き合っているのが譲原さんだ。
柔和な雰囲気だが、内には漁師としての強い情熱を秘めている譲原さん。父の背を見て、漁師への道を志したのだろうと思ったが、元々は継ぐつもりはなかったそうだ。
「漁師を始めたのは27歳のとき。自分は鳶職とか溶接の仕事をしてたんだけど、漁師を継いでいた兄が、別の仕事をしたいと辞めてしまって。それで、じゃあ自分がやらなきゃって」。
別の業界でキャリアを積んでいたならば、家業を途絶えさせるという道もあったはず。しかし譲原さんは「曽祖父の代から続く家業を守る」という使命感を持って、漁師に転身した。そこには、幼き頃から見ていた漁師の姿への憧れや尊敬もあったに違いない。
現在譲原さんは、わかめの養殖を中心に、刺し網漁を30年近く続けている。
種づくりから始まる、こだわりのわかめ
譲原さんのわかめには、ファンが多い。毎年1万個以上もの注文が届き、全国各地の食卓で譲原さんが育てた風味豊かなわかめが楽しまれているそうだ。
なぜ人気なのか。美味しさの秘密は、“種”へのこだわりにあるという。
わかめの養殖は、種づくりからスタートする。冬にかけて大きく成長したわかめは、春になるとめかぶから胞子を出す。その胞子で種をつくるのだが、この種の出来がわかめの美味しさを左右するのだ。
「種でわかめの形も大きさも変わるからね。天然のめかぶから胞子を採っているんだけど、その種よりも、一度養殖して、それから採った種を使ったわかめが良い。天然のものから採った種だと大きさがあまり出なかったり、味もイマイチ。だからといって、養殖のめかぶから採り続けていくと、頼りないわかめになってしまう」
販売されている種を購入してわかめを養殖する漁師もいる中で、譲原さんは2年がかりで種を作る。手間はかかるが、それらは父の代から受け継いだ美味しい「猿島わかめ」をたくさんの人に届けたいという思いから。愛情がしっかり込められた分、味は格別だ。
「わかめの葉っぱは味噌汁に入れたり、サラダにしたり。茎わかめは鰹節と醤油で合わせたり、酢漬けもいいよ」と、自慢のわかめの美味しい食べ方も教わった。
変わりゆく環境下で、できることを
猿島わかめの魅力やこだわりをたくさん語ってくれた譲原さんだが、取材の中では、近年、横須賀で漁師を続けることへの危機感も感じていると話した。
「地球温暖化の影響で、南の方から海藻を食べる魚が北上してきてる。自然の海藻が少なくなってしまって、わかめの生産が減ってきているんだよね」
海水温が下がらないことで、場所によっては種が発芽しないことや、種差しの時期が遅れてしまい、良質なわかめが育たなくなっているという。
また、海水温の変化は魚の生育環境にも影響を及ぼしているそうだ。
「東京湾は、日本の三大漁場の一つとも言われている。宮城と瀬戸内と、東京湾。それだけ東京湾は、 魚種が豊富で、養殖にも適した海だった。湾内が浅くて、産卵に来る魚も多いしね。でも昔獲れていたスズキとかシャコ、マコガレイ、車海老なんかは獲れなくなってきて、代わりに太刀魚が一年中獲れるようになった。猿島は20年くらい前まではアサリの宝庫だったけど、アサリも激減してしまったね」
時代と共に影響を受け、変化してた海を眺め「昔の海に戻れたなら…」とつぶやく譲原さん。そんな想いを抱きながらも、今、何ができるのかを考え、向き合う姿は、現代の海の男である。そんな譲原さんだからこそ、行政や地元企業から頼られ、新しい挑戦も舞い込んできている。
地元企業と協業しながら「猿島わかめ」の味を次世代に
横須賀では、2012年にわかめ養殖の後継者を応援するため、漁師、飲食店、観光会社で構成された「猿島海畑活性化研究会」を立ち上げた。
その研究会の取り組みとして、「猿島わかめ」の新しいブランド「さるひめ」が誕生した。
「さるひめ」は、毎年の1月〜2月頃の1ヶ月間だけ収穫される1メートル未満の早獲りのわかめのこと。通常のわかめよりも柔らかく、シャキシャキとした歯ごたえの良さが特徴だ。
旬の味覚として人気を集めている「さるひめ」の生産も、譲原さんが担っている。
「漁師が“新芽が美味しい”と発信しても、ここまで広まらなかったはず」
地道に一人で生産を続けてきた譲原さんにとっては、反響の大きさは新鮮だった。おおらかで実直な譲原さんだからこそ、舞い込んできたであろう協業の依頼を通じて、新しい可能性を実感したという。
「昔と全然海が違うんだから、ちょっとトンチがきくような、新しいことやってみようと考えていかなきゃダメだよね」
大きな変化の渦の中で発展を続けるためには、積極的に挑戦をすることが必要不可欠だ。漁師がひとりで黙々と海と向き合っていくのはもう過去のこと。これからは地域の方との協業もしながら、譲原さんは次世代へと残すわかめ漁を考えている。
受け継がれてきた歴史や伝統を守ることや温暖化などの環境問題など容易ではない現実の中でも、わかめ漁だけでなく、牡蠣の養殖にもチャレンジしたりと、自らの枠を超えながらも、新たな取り組みを始める譲原さんの姿をみていると、明るく新しい漁の未来が見えてくるような気がした。
採れたて生わかめ〜加工の工程
Staff Credit
Written by Miki Fujiwara
Photographed by Io Takeuchi
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